エンタメクラブ   番外編8:エンタメクラブ 逃走編

 ――森。
 呼ばれて振り返る。木谷がそこにいた。
 どうしたと尋ねる前に、木谷が傍に駆け寄る。俺を上目遣いで見上げ、そして――
 ……え?
 ――森。私、森のことが……。

「うっわああああああああ!!!!????」

 布団から飛び起きる。
 ――ゆ、夢、か……。なんつー夢を……!
 先ほど見ていた夢を思い出し、おもわず「わああ」と声を上げて頭を左右に力いっぱい振る。
 いやいや、なんであんな夢……あ、そうだ。わかった。昨夜姉貴がリビングで恋愛ドラマを見ていたんだった。その影響だ。
 しかし、だからといって、なぜそれが俺の夢に。しかも木谷が――「わああああ!」
 1人で百面相をしつつ、ふと顔を上げる。壁に掛かっている時計が目に入ってきた。
 現在時刻、8時5分前。
「遅刻するっ!!!!!!!!」

 ――あー。もうなんなんだ、朝から。
 学校までの道のりを小走りで向かう。ギリギリでも徒歩で行ける距離なだけに間に合いはするだろう。
 それよりも、学校で木谷に会ったらどんな顔すりゃいいんだ。いや、べつに普通でいいんだろうけど。そもそも普通ってどんなだ?
 っつーか、木谷に会うのもそうだが、着ぐるみに会うほうが正直気まずい。心読まれたら最悪じゃねーか。なんでこんな夢見たのかも(ドラマの影響ってのはわかるんだが)よくわかんねーし。絶対めんどくせーことになる。会いたくない。着ぐるみには会いたくない。
 とか考えているときに限って会うんだよな。もうお約束だ。
「おはよー! ヒロくん。大丈夫? ギリギリじゃない?」
 今まさに考えていた、1番会いたくないヤツの声。
 ビュン!
 俺はなにも答えず、振り返りすらせずにダッシュで逃げ出した。
「…………え?」

 ほぼチャイムと同時に教室に滑り込む。
「あれ? おはよう。ギリギリだね」
 ちょうど席に着こうとしていた木谷と目が合い、そう声を掛けられた。
「お、おはよう」
 さっと目を逸らしてしまう。だああ! なんなんだよ、俺!

 ……まぁ、そんな状況もしばらく経てばだいぶ落ち着いてくるもんで。
 放課後にはすっかりいつもの自分に元通りだ。
「森。部活行くよね」
「あぁ。そうだな」
「俺も、行くよ!」
「あれ? 葉山、陸上部は?」
「今日はない!」
 部活へ向かう奴、後から部活へ来る奴、用事があって休む奴……とまぁ、いくつかのグループに分かれたわけだが。
 俺、木谷、愁の3人はすぐに部活へと向かった。
 部室の鍵を開け、中に入る。
「まだ着ぐるみ理事長は来てないのかな?」
 木谷がそんなことを言う。
 ――あぁ。着ぐるみの名前を出され、今朝のことをつい思い出してしまった。……いや、考えない。考えないぞ!
「…………って、うわっ!?」
 とつぜん愁が奇声を上げた。
 愁の視線の先へ、こちらも視線をやる。そこにいたのは――
「着ぐるみ理事長!? いたんですか!?」
 部屋の隅のほうで1人丸くなっているオレンジの塊――いや、着ぐるみ。
「ど、どうしたんですか? 鍵もかけて、こんな部屋の隅で……」
 木谷が心配そうに、着ぐるみの顔を覗き込もうとする。だが、着ぐるみは膝に顔を埋めたまま、返事をしない。
「着ぐるみ理事長……?」
 ――な、なんだ? どうしたんだ? 悪いもんでも食ったのか?
「おい、着ぐるみ――」
「――だって、近付かないほうがいいでしょ」
 ――は?
 とつぜん、着ぐるみがそんなことを言い出した。
「どうしたんですか?」
「ほ、本当になにが……?」
「そうだぞ。おまえらしくねーじゃねーか?」
 俺達は口々にそんなことを言った。
『近付かないほうがいい』――今まで、あれだけグイグイ来てたヤツの言うことか?
 なんかくだらないことで悩んでそうな――
「くだらないってなんだよ! だいたいっ……ヒロ君が……!」
「は? 俺?」
 急に名前を出されて首を捻る。
 ――なんだ? 俺が着ぐるみになにか? そんな覚えは…………あ。まさか、今朝の、返事もせずに逃げ出した――アレか!?

 挨拶をしただけなのに、いきなり逃げられた……。
 私はボー然とその後姿を見ていた。
 ――なんで、私、ヒロ君になにかした?
 したことと言えば……とりあえず、今は本当に朝の挨拶をしただけだ(過去にいろいろしたことは考えない)。
 そうしたら、ヒロ君に逃げられた。

 大学に向かいながら、ずっと考えていた。
 ――なぜ、どうして?
 でも、考えてみれば、とうぜんのことなのかもしれない。
 笑ちゃんも、ヒロ君も、みんなみんな、優しいから忘れていた。
 普通の人は、相手は心が読めるなんてわかったら、きっと逃げ出す。近くにいたいはずがない。あたりまえだ。隠したいことだって、なんでもバレてしまうんだ。それはきっと嫌だし、恐ろしいだろう。気持ち悪いだろう。
 ――あぁ、気持ち悪い。
 周囲を歩く人々の声が、とつぜんぐちゃぐちゃに流れ込んできて、吐きそうだった。

「いや、朝の、アレは、ちょっと、その……き、気付かなかっただけだって」
 俺がしどろもどろに答えると、着ぐるみは顔を上げ、
「嘘だね! あんな逃げるようにさぁ!」
 怒っているようだ。
 ――いや、たしかに申し訳ないことをしたかもしれないが、しょうがない。アレはしょうがなかったんだ!
「なにがしょうがないっていうのさ! べつに、みんな無理して私といなくなって……」
「着ぐるみ理事長……無理だったら、とっくに部活辞めて関わってませんって」
 木谷が言う。そのとおりだ。
「たしかに、そうだね」
 愁も頷いている。
「でも……だって……」
 着ぐるみがこっちを見てくる。
 木谷もこっちを向く。
「森。なにかしたの??」
 ――う。木谷、そんな目で俺を見るな。っていうか、俺を見るな。また夢を思い出してしまう。
「…………夢?」
 着ぐるみが不思議そうな声を上げる。
「え?」
「うぐっ!」
 ――だから! 着ぐるみに会いたくなかったんだよっ! あんな夢、着ぐるみにバレたらああああああああ!!!! くっそ、思い出してしまう!! 考えない。思い出さないぞー!!!!
 そんなことを思っていても、どうしても浮かんできてしまう。あーまたこれで木谷の顔も見れねぇ。
「……………………へぇ〜……」
 着ぐるみがニヤニヤした笑みを浮かべる。
 ――だ・か・ら! 嫌だったんだ!!!!
「そっか……そっか。ごめんね。もしかしたら私が嫌なんじゃないかって……いや、ある意味そうなのかもしれないけど。でも、そっか。そういう理由だったんだ」
 着ぐるみが満足したように言う。
「え? どういう理由なんです?」
 木谷が着ぐるみに尋ねる。
 俺はもう2人のほうは見ずに、
「帰る!」
 そう一言言って部室を飛び出した。
「え。森!?」
「ちょっとヒロ君! ひどいよー!」
 後ろから木谷と着ぐるみのそんな声が聞こえてきたが、知らん! 俺は振り返らずにその場を去った。

 ――あーあ。行っちゃった。
 でも、そうか。私のことが嫌になったとか、気持ち悪いとか、そういうことじゃなかったんだ……。今日の、その夢だけ知られたくなかったんだね。ごめんね。聞こえちゃって。
「いったい、なんだったんです……? 着ぐるみ理事長?」
 笑ちゃんがヒロ君が飛び出していった扉の先を見つめながら、不思議そうに聞いてくる。
「ん〜……? そうだねぇ……なんていうか、私の勘違いってことで。ヒロ君も今日はちょっと調子悪いみたいよ?」
「え? 大丈夫かなぁ……?」
「さー? もしかしたら、そのうち聞かせてもらえる日も来るんじゃないかな」
「大丈夫かって??」
「そうだね」
 ――安心してよ、ヒロ君。さすがにばらしたりしないからさ。
 それにしても、去り際に耳まで真っ赤になってたの、笑ちゃんは気付いてなかったみたいね。気付かれなくて良かったね……良かったか? いやぁもう微笑ましいわ。

「……俺、話がさっぱりわからないんだけど……」
「私もイマイチわかってないから大丈夫だよ、たぶん?」
「とりあえず、はっちゃんはもっと頑張らないとまずいと思うよ。影も薄いし」
「頑張るって!? ていうか、影薄いって……」

 ――私が、こんな人間でも傍にいてくれる。
 大好きな人達。ここが大切にしたい場所だ。と、誰に聞かれても構わない。心からそう思った。