わくわくわちくわ

　我輩はちくわである。
　名前は『マダナイ』。

「なぜちくわなのか？」だって？
　そんなこと尋ねられても困る。
　なら、なんだ？　君は、「なぜ人間なのか？」と尋ねられたら答えられるとでも？（もしかしたら人間ではなく、飼い主の邪魔をしている猫や、知能をもったチンパンジーのお方も読んでいるかもしれないが）
　ちくわに生まれたからには、ちくわとして生を全うしたい。
　そう。つまりは――食べてもらうことである。

　我輩は昨夜、生まれ育ったちくわ工場を旅立ち、そして本日、スーパーの練り物コーナーに並べられた。隣では、かまぼこが暇そうに通りすぎていく人間を眺めている。
「君はどんな人間に食べてもらいたい？」
　我輩は、そんなかまぼこに話しかけてみた。
　かまぼこは突然話しかけられたことに驚いた様子だったが、少し間をおいてから一言、「美女」とだけ返してくれた。
「そうか。美女か。正統派だな」我輩は言った。「実は、我輩は、美味しく食べてさえもらえれば、それがたとえ野良犬だったとしても構わないのだ」
　我輩の言葉に、かまぼこが反応した。
「なんだって。野良犬でも？　それじゃあおまえ、残飯になってしまっても、結果的に食べてもらえればそれでいいと？」
　不思議そうに、そう尋ねてくる。
　無理もない。きっと普通ならば、このかまぼこのように、美しい人間に美しく飾られて、それはもう上品な味つけをされて、美味しく食べてもらいたい。そういった願望を抱くのであろう。
　それでも我輩は、そんな他練り物から見て素晴らしいちくわ生でなかったとしても、ただしっかりと味わって食べてもらえれば、それでいいのだ。それだけで幸せなのだ。
　そう伝えると、かまぼこは「変なやつだな」と言って笑った。

　それから少しの時が過ぎ――
　昼を３時間ほど超えたころ。我輩は１人の青年に買われた。歳は20代前半といったところか。
　彼は我輩だけを単品で購入すると、そのままどこかの雑居ビルに入り、屋上へとやって来た。
　そして、おもむろに袋から我輩を出すと、そのまま銜えた。
　我輩を噛んだり飲み込んだりするでもなく、銜えたまま、彼はゆっくりと横になり、我輩の先に広がる青空と流れる雲を眺めている。
　これは――どういうつもりだろうか？
　我輩はタバコではないし、笛でもない。吹いても音は出ない。
　勘違いさせたなら申し訳ない。しかし、我輩にはどうしようもない。早くこの過ちに気づいて、どうにか我輩を食べてもらいたいものであるが……。
　はて、どうしたものかと悩んでいると、彼の隣にもう１人の青年がやって来た。彼とは同い年くらいだろうか。もしかしたら、知り合いなのかもしれない。
　しかし、彼らは会話をすることもなく。
　隣に座った青年もまた、我輩とは別のちくわを取り出して銜えると、この我輩を銜えている彼と同じように横になった。
　……よくわからないが、これは、流行りかなにかなのであろうか？
「あれ？　おまえ――マダナイじゃないか？」
　突然、隣から話しかけられた。我輩を銜えている彼に向けてではなく、我輩に向けてだ。
「え？　……もしかして、モウアルなのか？」
　まさか。まさかこんなところで、ちくわ工場では唯一無二の親友であったモウアルに再会できるとは！
　我輩は昨夜の出来事に思いを馳せた。

　出荷される直前、モウアルは言った。
「たとえ美味しくなくても、しっかりと噛みしめ食べてもらえたなら。誰かの栄養になれたなら。俺達はそれで幸せだよな」
「あぁ。それが我輩達の使命で、運命なのだから」
　我輩は深く頷いた。
「それじゃ……達者でな」
「君も、元気で」
　そうして、我輩達はこれが今生の別れであろうと感じながらも、涙を堪えて離れたのである。

　それが、いったいどんな運命のいたずらだというのか。
　我輩は嬉しくなりつつ、しかし、同時に不安を抱きながら、モウアルに尋ねた。
「我輩を銜えているこの青年だが、一向に我輩を食べる気配がない。はたして、ちゃんと食べてもらえるのか。このまま食べずに捨てられたならば、どうしよう？　あぁ、不安だ」
　そんなことを言いながら、考える。
　――もしかしたら。彼はとても疲れていて、もにっとした食感の我輩を銜えることで癒されているのかもしれない。最終的に食べてもらえるなら、今はそれでも構わない。
「…………マダナイ」
　モウアルが、どこか遠慮がちに我輩の名前を呼んだ。なぜだろうか？　それには、迷いや煩いを含んでいるように感じた。
「実はな、マダナイ……俺は」
　そのとき、モウアルを銜えていた唇が、ゆっくりと動いた。そのまま、モウアルの体は噛みちぎられ――
「ぎゃああああああああああ!!」
　まるで、ない耳をつんざくような悲鳴が響いた。
「俺は……俺は、本当は、食べられたくなんかねぇよ！　腐っちまっても構わない！　朽ち果てるそのときまで、生きたかったよおぉ！」
　モウアルの告白に、我輩は驚きを隠せない。
　ちくわに生まれたからには食べられることが幸せだと、語り合った日々はなんだったのであろうか？　すべて、嘘だったのか？
　しかし、モウアルが目の前で食べられていくのを見て――
　――なにを今さら。怖じ気づいたとでも言うのか？　そんな、そんなこと……。
「……我輩も、食べられたくない！」
　本当は、ずっとずっと気持ちを偽っていたのかもしれない。ちくわに生まれたのだから、食べられるしかないのだと。美味しく食べられようが、なんだろうが、食べられてしまうのだから変わらない。そう諦めていたのかもしれない。
　しかし、今はっきりとわかった。
　我輩はまだ生きたい！
　我輩を銜えている唇が、ゆっくりと動きかけた。
　――神様、神様、神様！　我輩は死にたくない！　生きたい!!
　そう心から願った次の瞬間。

　世界は滅亡した。

　地球に隕石が衝突したのだ。
　世界の人口は１億分の１まで減り、今まで人類が築きあげてきた文明はすべて失われ、かわりに、隕石に付着していた菌がこの星の環境に触れたことで突然変異を起こし――
　我輩は、今、その菌によって手足が生え、まるで人間のように二足歩行が可能になった。
　きっと、これから、我輩の新しい日々が始まるに違いない。これからは自分に正直に生きていこう。
　……しかし、平穏な日々が訪れたのも束の間。なんと、同じように手足が生えたかまぼこ達が、この世界を征服しようと動き始めたのである！
「止めに行かねば！」
　我輩は立ち上がった。
　それを、できたばかりの妻であるイマデキタが引き止める。
「そんな危険なこと、おやめください」
「イマデキタ……しかし、誰かが行かねばならぬのだ。噂によると、かまぼこ達の中心となっているのが、我輩の知っている者のようだ。……とはいえ、人間に買われる前に少し話しただけではあるが。あのころのおまえはどこへ行ったのだと、彼に問いたいと思う」
　我輩の真剣さに、イマデキタは諦めたように微笑んだ。
「わかったわ……。でも、むちゃはしないで。辛くなったら、いつでも帰ってきてくださいね」
　そして、そっと我輩にキスをした。
　――怒られるかもしれないが。実は少しわくわくしていた。
　ただのちくわだったら、絶対に訪れることのなかった幸せな生活。そして、どきどきの冒険。そんな日々を送れるのだから！

　我輩のちくわ生はこれからだ！

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　わくわくはちくわ。
　えむ……あなた疲れてるのよ……。