僕の生存日記   第11話:ハート・クリーンロッカー

 ゆっくりと目を開ける。薄ぼんやりと白い天井が見える。
 少しだけ硬いベッドの上で眠っていたようだ。
 顔を横に向けると、よく知った姿が映った。

「黒井……さん……?」

 黒井さんは僕をじっと見つめていた。大粒の涙を溜めながら。

「って、黒井さん!?」
 思わず飛び起きる。
 立ち上がる前に、体中が痛くて背中を丸めた。

「ふっ……うぅっ…………っ!」

「ど、どうしたの、黒井さん……」
 体勢を立て直して、僕は黒井さんに尋ねた。
 ――よく見ると、彼女は手にモップを握っていた。ということは、彼女は黒井さんではなく、黒姫さんだ。
 そして、何が起こったのかなんとなく理解した。あの狭い空間で、掃除用具の中にあったモップを思わず掴んでしまったんだな。で、あんな状況だったから、驚いた黒姫さんにぶっ飛ばされた、と……。
「く、黒姫さん……。あれは、その……」

「ご……ごめん…………ごめんなさい…………!」


 !?


 く、黒姫さんが謝った……!?
 千羽が空気を読んだことといい、黒姫さんが謝ったことといい……天変地異の前触れだろうか!? 明日は槍が降るどころじゃ済まないかもしれない。
「ごめんなさい……! ……ごめんっ……!」
「もういいよ! 黒姫さん!」
「目を……覚まさなかったら、どうしようかって……。良かった……良かった…………」
 そう言いながら、彼女はぼろぼろと涙を零す。
 僕は、彼女の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だから……。こっちこそ……なんか、ごめん」
 そもそもあんな状況にしてしまったのは、この僕だ。そりゃ男と2人きりであんなところに入ってたら、驚きもするだろう。殴り飛ばされても仕方がない。
 体中が痛くても……うん……僕が悪いんだから、しょうがない……。
「……そ、そうよー! あんたが悪いんだからね!」
 涙を流したまま、黒姫さんが言う。
「そ、そうだよ。ごめん。本当にごめんね。だから泣かないで。僕、もう平気だし……」
 とか言って、本当はまだ平気じゃないけど……。
「大丈夫か? 川野辺クン」
「あ、神成先輩」
 扉を開けて、神成先輩が入ってきた。
 そういえば、ここがどこか意識してなかったけれど、保健室だった。
「もしかして、ここまで運んでくれました? ありがとうございます」
 神成先輩に向かって頭を下げる。
「あぁ……。千羽クンも……」
「そういえば、千羽は?」
 尋ねると、神成先輩はちらりと扉の方に目をやってから、言った。
「さっきまで廊下にいたんだがな……。どこかに行ってしまったようだ」
 どうしたんだろう? いつもの千羽なら、僕が保健室で横になってたら、飛んできそうなものだけど……。
 ――え? 僕のことが嫌いになった? とかじゃないよね。それにしても、さっきも空気読んで2人きりにしてくれたし……。えー? 実は千羽熱でもあるんじゃ……? それとも、また僕を油断させて……とか、もうしないって約束したしなぁ。本当に心入れ替えたんだろうか? これはこれで怖いな。
 本当に、どうしたんだろう。
「あ、ところで、今池君は?」
 ふと思い出して、こっちも訊いてみた。
「この間の――音無嬢だったか? 彼女を見かけて、追いかけて行ったぞ」
 えー、なにそれ。ちょっと面白いことになってる?
 …………。
「なんだか、いろいろ人間関係に変化の出そうな夏ですね」
「? なにがだ?」
 思わず言ってしまったことに、神成先輩は心底よく分かっていない顔で返す。
 黒姫さんは特に口を挟むことなく、まだぐちゃぐちゃな顔で僕らを見ていた。ただ――
 ふと、彼女と目が合った。
 ――彼女は一瞬赤い顔をして、それから笑顔を見せてくれた。
 あの黒姫さんも、今回のことで、なんだか少し柔らかくなったようだ。

 こうして、いろいろなことが変わっていく。本当のところ、変化するっていうのは、なんだか怖い。
 けれど、これが僕らの成長なんだろうか。
 いい方向に変わっていくのなら、きっと、未来は明るい。
 そんなことを考えた夏の1日――。


「で、合宿の場所決まったんです?」
「どう考えてもそれどころじゃなかっただろう。また明日話し合いの続きするぞ」
「はぁ……」