距離感

 この距離感が好きだった。
 あなたと軽口を叩き合って、笑って、お互い気を遣わずに、自然体でいられる。この関係、この距離感が好きだった。
 ――本当は、もう少しだけ近付きたかった。
 ここから一歩踏み出すのは怖くて、少し距離を間違えれば逆に遠ざかってしまいそうな気がした。
 だからこそ、近付き過ぎず、遠過ぎず、丁度良いこの距離感でいたんだ。この状況に甘えていた。あなたの隣にいるのは私だと信じて疑わなかった。

「結婚するんだ」
 あなたがはにかんでそう告げた。
 青天の霹靂。
 相手は、呼ばれたパーティーで知り合った娘らしい。
 私は、距離感を間違えていたのだろうか。近付かなくても遠くへ行ってしまった。いや、近付かなかったからこそ遠くへ行ってしまった。
 ――あぁ、なんて嬉しそうな顔でその娘の話をするんだろうか。
 涙であなたの姿が滲んで、あなたとの境界線がわからない。この距離は近いのか遠いのか。でも、今更どうにもならない。きっともうこの距離が縮まることはない。届かないと理解しながらも、手を伸ばした。
 あなたの頬に触れた。

   ***

 その涙はどういう意味なのか。そう疑問に思う程は鈍くなかった。
 それでも、そこで初めて気付くくらいには鈍かった。
 この距離が心地良かった。それと同時に歯痒くも感じていた。だからといって、この目に見えない線を踏み越える勇気はなかった。この関係を壊したくなかったんだ。
 だから、蓋をしていた。きっとおまえもそれを望んでいると思っていたから。

 友人に呼ばれたパーティーで、その娘とは出会った。かわいい娘だった。
 その娘は会った時から距離が近かった。そして、あっという間に告白された。一目惚れだったと。
 悪い気はしなかった。むしろ嬉しかった。きっと、時間が経てば気持ちもこの娘に移るだろうと、そう思って付き合った。
 順調に結婚も決まって、そこでようやく報告をした。
 距離を変えたくなかったから、ずっとこの関係でいたいと思っていたから。だからこそ俺達は近付くこともせず、遠ざかることもなく、絶妙なバランスで保っていたのに。本当は、こんなにも脆いものだったと、心の奥ではきっと気付いていたのに。
 おまえの涙を見て、とうとうこの距離を変えてしまったことに気付いた。もう今までの関係ではいられないんだと。
 もう、その涙を拭うことはできない。
 おまえが触れた手を、そっと押し返した。




 某アプリのお題『距離』に投稿した内容に付け加えたものです。以前別のところにアップはしたけど。
 久しぶりに読み直して、自分で、いいじゃんと思ったので。


――――2025/08/03 川柳えむ