神様の望んだセカイ   Chapter03:彼女の望み

 アイスクリームショップなど、今や跡形もない。欄間看板や店の横に立てかけられていた看板が、無残な姿になっていた。
「新井」
 京太は声をかけた。
 名前を呼ばれた少女が振り返った。少女の姿は、異様なものだった。
「――おまえ……」
 血に染まったセーラー服を翻し、都は京太の前へと立った。京太の瞳から視線を逸らさず、彼女はただじっと彼の目を見ていた。
 力強い眼差しに、思わず京太は視線を逸らし、尋ねた。
「――その血……なんだよ? 怪我でもしたのか……?」
 そう言って、視線をゆっくりと戻した。
 都は首を左右へ振った。
「じゃあ、どうしたんだ、それ――」
 再び尋ねかけ、ぎくりとした。
 彼女のすぐ傍に倒れているコンクリートの下から広がっている赤い液体、その中に見覚えのある布地と、肌色やピンク色をした『なにか』が見えていた。
「お、おま、え…………」
 それが『なに』か理解した時、京太は胃の中にあったものを全て吐き出していた。

「大丈夫?」
 都が座り込む京太に尋ねた。
 京太は青い顔に虚ろな目で都を見上げる。都の問いには答えず、逆に問う。
「…………おまえが、やったのか……?」
 言ってから、そうとは限らないことに気付く。
 ただ、アイスクリームショップに来ていたいじめっこたちが、たまたま地震で崩れたコンクリートに潰されただけ。血塗れなのも、きっと彼女自身がこの周辺で倒れていたから。そもそも、顔は見えないからあいつらかどうかだって判らない――地震の時にこの場所にいたのを目撃しているため、あいつらである確率は高いであろうが――のに。
 しかし、その想いは、いとも簡単に崩されてしまった。
「そうよ」
 迷いのない瞳。まっすぐに京太を見つめたまま、都はそう答えた。
「あいつらは、私をボロクズのように扱った。あいつらは死ぬべき。死ぬべきだった。だから殺した。私のために。私の平和のために」
 早口でまくし立てるように声を上げる。
「私が私の平和を望んでなにが悪いの!」
 本当につい先ほどまで、こんな風に取り乱す彼女を、京太は1度たりとも見たことがなかった。教室で見かける彼女は、ずっと表情などなかったのだ。
 ――そうか。きっと、彼女は耐え続けていたのだ。限界を超えるギリギリのところを。
 訴えかけるように叫び続ける彼女を見て、恐怖よりも哀切を感じた。
「――たとえ、どんな理由があっても、殺人は、まずいだろ……」
 いろいろ考えてしまってから、ようやく、京太は搾り出すようにそう言った。
「こんな天変地異に見舞われたのよ。その中でどさくさに紛れてやったことなんて、誰も気付かないわ」
 完全に開き直っている都が言う。
「そういう問題じゃないだろ。倫理的なことだ」
 京太がそう返すと、都は鼻で笑った。
「倫理? 倫理ってなんなのかしら? 今まで私にあれだけのことをしてきた相手に、倫理的にどうのこうのなんて。笑っちゃうわよ」
「…………」
 彼女にとってみれば、それだけのことを、相手はし続けてきたんだろう。殺されてもおかしくないほどのことを。
 たとえば誰か人が殺されたとして、その犯人を被害者の親が復讐に殺したとしたら。それを責めることはできるだろうか?「倫理的に問題がある」だなんて言えるはずもない。
 今回の出来事だって、相手は誰も殺してはいないかもしれないが、殺される以上の苦痛を与えられ続けてきたのかもしれない。それなら、仕方がないといえば仕方のない出来事だったのかもしれない、この殺人は。
「――帰るわ」
 疲れた顔で、彼女はそう言った。
「その姿で?」
 赤く染まった彼女を見ながら、京太は問う。
 少しの間があり、それから、彼女は突然セーラー服を脱ぎ出した。
「――! おい! ちょっと待てよ!」
 京太は慌てて学ランの上を脱ぐと、彼女を覆い隠すようにしてかける。
 そしてそのまま、崩れかけた駅舎の、人目につかなそうな影になっているところまで引っ張っていった。

「今日、体育があってよかったな」
 背後でジャージに着替えているであろう彼女に、京太は気まずさを隠しながらそう声をかけた。
 都は特に返事を返すこともなく、着替え終わると、京太の前へとやって来て言う。
「変なところを見せたわね」
「……別に、たいしたことはない」
 正直、彼女のやったこと、それ以上に取り乱したことには驚いたが、考えてみれば、そんなことはたいしたことではなかった。
 これだけの大きな地震があった後だし、それよりも、それ以上に、自分自身があれだけの不思議なことに見舞われていたのだから。 そう――

「おまえは『神様』みたいなものだ」

 都を見かける前に出会った、あのキョウという男の言葉を思い出す。
「――もしも、俺が神様だって言ったら、信じるか?」
 ふと、都にそんなこと尋ねてみた。
 突然の思いもよらぬ言葉に、都は一瞬驚いた表情をして、それから怪訝そうに答えた。
「神も仏もいないわよ」
 無神論者からすれば、なにを馬鹿なことを。といった話だろう。無神論者というか、彼女からは、単に諦めに近いようなものを感じるが。
「もし仮に神様だったとしたら、訊いてやりたいわよ。なんで、今まで私を助けてくれなかったのかって」
「わ、悪い……」
 俺だって、今まで自分が神様だなんて気付かなかったんだ。
 そう思って、しかし、言うのはやめておいた。「悪い」なんて言葉すら、彼女にとってみればふざけた言葉なのかもしれない。
 神様でも仏様でも、そうでなかったとしても、きっと、助けてくれていたのなら、誰だってよかっただろう。
「…………しっかりしなさいよ」
 それは、馬鹿げたことを言っていることに対してなのか、はたまた、いじめを見て見ぬふりをしていたことに対してなのか。
 彼女は彼に向かってそう言うと、小さくため息をついた。
「今度こそ、帰るわ」
「どうやって?」
 思わずそう返していた。
 駅付近にいたということは、きっとこれから電車で帰るところだったのだろう。
 しかし、建物は崩れかけていて、電車が動いているとは到底思えない。
 先ほどから道路だってまともに動いている車は1台もない。大渋滞が発生していて、クラクションや人の怒鳴り声が聞こえてくる。諦めて、車から降りて歩き出した人の姿だってあるのが見えた。
「……歩く」
 一言そう返して、都はさっさと歩き始めた。
「ちょっと待てよ。おまえ、家どっち?」
「××線の――○○駅の方よ」
「もしかして、俺と同じ……? だったら、俺も帰る。一緒に行こう」
 家が近いことに驚く。そして、それなら都合がいいと京太は思い、言った。
 正直なところ、なんだか不安定な彼女をこのまま放っておくのも気が引けていた。
「……1人で平気よ」
「別にいいだろ。同じ方向なんだから」
「勝手に、どうぞ」
 冷たく返してどんどん先を歩いていく彼女を、京太は慌てて追いかけた。